朝日製パン株式会社

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会社の歴史

戦後間もない頃、「日本の食文化はこれからご飯からパンに変わる」と予見した創業者が、現在のJR堺市駅前で配給パンの製造・販売をスタートさせました。小麦粉やイーストも配給制だった当時、材料の調達にさえ苦労したが、パン作りを決してあきらめなかった。その時々の時代の様々な波を越え、やがて小売店や製造卸、学校給食などに販路を拡大し、現在に至っています。
常にアンテナを張り、時代を読みながら発展してまいりました。

昔のアサヒパンの写真

19471970

1947昭和22年 戦後の食糧事情に鑑み、国鉄阪和線金岡駅(現JR阪和線堺市駅)前、現在池田泉州銀行堺市駅前支店の地(堺市北区北長尾町1丁1番地)にて、富士食品工業所として製パン業を始める。
1950昭和25年 学校給食開始に伴い指定工場となる。
1953昭和28年 11月25日、資本金200万円にて朝日製パン株式会社(略称アサヒパン)を設立し、呉松辰夫が社長に就任。
1963昭和38年 会社設立10周年を記念し、また食品工場としての衛生面と生産の合理化を図る為、現在地である堺市堺区東雲西町1丁2番22号に新工場(後に本社工場と称す)を建設。
6月、資本金400万円に増資。
1964昭和39年 3月、資本金700万円に増資。
1967昭和42年 6月、資本金1,050万円に増資。
洋菓子部門を分離し、資本金150万円にて11月17日に有限会社パリスベーカリーを設立。
1969昭和44年 7月、資本金1,550万円に増資。
9月10日、時代の要請に応えるべく、新鮮な焼き立てパンを提供するオーブンフレッシュベーカリーとして株式会社パリジェンヌを資本金500万円にて設立し、本社工場隣接地に本店を開店する。
1970昭和45年 3月、資本金2,500万円に増資。
同年大阪千里丘陵にて開催された日本万国博覧会に全大阪パン協同組合を通じパンを出品する。
8月16日より約3ヶ月間の日程で当時専務であった呉松正一郎がハインリッヒ・フロインドリーブ氏率いる第二回ハリー会に参加し、欧州各地のパン作りを視察する。
創業初期のリールオーブンと先代社長 呉松辰夫の写真
創業初期のリールオーブンと先代社長 呉松辰夫
創立10周年並びに新社屋竣工記念式典の写真
創立10周年並びに新社屋竣工記念式典
開店当時のパリジェンヌ店舗外観の写真
開店当時のパリジェンヌ店舗外観
社内野球部で活躍した社長の写真
社内野球部で活躍した現社長 呉松正一郎
創立15周年記念式典の写真
創立15周年記念式典
ハリー会でのヨーロッパ研修の写真
ハリー会でのヨーロッパ研修

19712000

1971昭和46年 8月、堺市中区宮園町の宮園フードセンター前に小倉そば宮園店を開店する。
8月20日有限会社小倉そばを資本金50万円にて設立。
1973昭和48年 会社の若返りをはかり呉松辰夫の長男である呉松正一郎が2代目社長に就任する。
資本金を3,000万円に増資、又、堺市北区新金岡町5丁に新金岡社宅を新築。
8月、大阪府堺市高石市消防組合に広報自動車を寄附し、内閣総理大臣より褒状紺綬褒章を下附され表彰される。
1975昭和50年 3月、有限会社小倉そばを商号変更し、有限会社フルールとする。同時に小倉そば宮園店を閉鎖し、朝日製パンのサンドイッチ部門として業態変更する。
4月、有限会社フルールの資本金を200万円に増資。
1976昭和51年 3月、資本金3,900万円に増資。
3月、資本金4,500万円に増資。
4月、大阪狭山市にて米飯給食の開始に伴い、パン焼き窯(リールオーブン)を利用した炊飯で対応、供給する。
1977昭和52年 3月、株式会社パリジェンヌの資本金を800万円に増資。
4月28日、米飯給食の増加に対応する為、資本金1,500万円でアサヒフーズ株式会社を設立。
堺市堺区戎之町東1丁に米飯工場を新築、大阪府下第1号の米飯工場の指定を公益財団法人大阪府学校給食会より頂く。
9月12日、アサヒフーズ株式会社の資本金を2,500万円に増資。
1979昭和54年 3月、株式会社パリジェンヌの資本金を1,000万円に増資し、同年7月に3,000万円に増資。
6月、出荷・仕上場を本社工場隣接地に新設。
10月27日、初代社長の呉松辰夫が逝去する。
1981昭和56年 3月、有限会社パリスベーカリーの資本金を600万円に増資。
1984昭和59年 堺市と姉妹都市である中国江蘇省連雲港市よりパン技術研修生1名を受け入れる。
1986昭和61年 7月、堺市北区南花田町に朝日製パン南花田セントラル工場を開場し、焼き立ての一般市販パンの供給工場として本社工場から分離する。
1995平成7年 9月、有限会社フルールの資本金を300万円に増資する。
1998平成10年 9月、アサヒフーズ株式会社戎之町工場の一部機械を入れ替え刷新する。
先代社長呉松辰夫と現社長呉松正一郎の写真
先代社長 呉松辰夫と現社長 呉松正一郎
中国江鮮省連雲港市よりパン技術研修生を迎えている写真
中国連雲港市よりパン技術研修生を迎える
創立40周年記念式典の写真
創立40周年記念式典

2001現在

2001平成13年 12月、有限会社パリスベーカリーを解散する。
2005平成17年 9月、米飯給食の回数増加に対応すべく、南花田セントラル工場の隣接地にアサヒフーズ株式会社の第2工場を新築。
2007平成19年 3月、南花田セントラル工場を閉鎖して本社工場に移転し、生産部門を集約し合理化を図る。
2008平成20年 1月、株式会社パリジェンヌ・有限会社フルールを解散し、朝日製パン株式会社に吸収合併する。
2011平成23年 3月、東日本大震災の被災地に大阪刑務所を通じて救援物資としてパンを供給する。
社団法人大阪食品衛生協会より朝日製パン株式会社本社工場、アサヒフーズ株式会社戎之町工場並びに南花田工場が『大阪版食の安全・安心認証制度』の認証を受ける。
2012平成24年 堺商工会議所より堺ブランド『堺技衆』の認証を受ける。(認証番号0096)
2014平成26年 3月、堺市の名物品として『堺ちん電パン』を開発し、阪堺電気軌道株式会社とライセンス契約を締結し、意匠の使用許可を取得し販売を始める。
2017平成29年 4月、『堺ちん電パン』が堺観光コンベンション協会より第25回『堺市優良みやげ品』に登録、推奨される。
堺堺市の新しい名物『堺ちん電パン』の写真
堺市の新しい名物『堺ちん電パン』
堺観光コンベンション協会の登録証の写真
堺観光コンベンション協会の登録証